大正大阪スラム

  • By asmile
  • 2014年8月27日
  • コメントは受け付けていません。

スラムと不良住宅地区は必ずしも同一のものではなく,この点に関して中川
(1985)は関東大震災後,旧市内の旧来の都市スラムが消滅,縮小し,「市街地
の拡大,旧市内での都市環境整備の進行,震災による郊外への人口移動といっ
た外因と,都市スラムの集住単位空間であった共同長屋(トンネル長屋),棟
割長屋,木賃宿における,炊事,育児,洗濯,排便などを行う際に必要とされ
た疑似的な共同性の喪失といった内因により,最下層住民は分散されていっ
た」(p.151)ことにより,「最下層住民の分布と都市スラムの存在とが必ずし
も一致しなくなり,一般の住宅地域との対比において都市スラムをとらえ直す
ことが,都市を経営する行政側にも要請された」(pp.176~177)と東京にお
ける不良住宅地区の特殊性を指摘している。

ところで、不動産といえば、家 高く売る ←こちらのサイトがお勧めです。

このようなわが国の大都市における不良住宅地区やスラム地域に関しては,
横山(1988)による『日本の下層社会』(岩波書店)などのルポルタージュが
知られる。また,近代期の東京の下層社会に関する木田(1990),石塚(1991)
や杉原・玉井編(1986)の『大正大阪スラム』は大正期における大阪市のスラ
ムを都市部落住民や在阪朝鮮人の労働や生活状況に関する詳細な報告があり,
そのなかで福原(1986)は,都市部落の居住地拡大のモデルにより,都市部落
の拡大過程をダイナミックに示している。この他に,丹羽(1992)による大阪
市西成区の「寄せ場」釜が崎地区における「野宿者」の社会空間に関する都市
社会地理学的研究やアリムラ(Arimura;1991)による日雇い労働者に関す
る研究がある。

EA002_L

Categories: 未分類

Comments are closed.